戦後の復興に見る建設業の歩み「55年体制の崩壊」(9)

 世の中は、行財政改革、復興への取り組みが加速していった時代から現在まで(1992年~2021年)を考えていきます。まず、1993年(平成5年)55年体制が崩壊しました。55年体制とは、与党第一党を自由民主党が占め、政権を維持し、野党第一党は、日本社会党が占めていた体制のことです。この55年体制は、「一と二分の一政党」と呼ばれ、自由民主党と日本社会党の勢力比は、2:1で、政権交代が実現できない一方、憲法改正のない体制でもありました。この時代、世界規模での冷戦体制の崩壊とバブル崩壊、それに伴う経済不況に、一段と強くなる政治不信により、自由民主党の支持を低落させました。加えて、1988年(昭和63年)のリクルート事件、1992年(平成4年)の東京佐川急便事件により、国民の政治不信が頂点に達しました。

 1993年(平成5年)の内閣不信任決議可決による衆議院解散(嘘つき解散)を受けた総選挙で、自由民主党は惨敗しました。同年、1993年に、細川内閣が成立し、自由民主党が、はじめて野党に移行しました。これにより、38年間続いた55年体制は、崩壊しました。

 2005年(平成17年)郵政民営化に関する施策についての基本方針と民営化に伴って設立した❶日本郵政(株)、❷郵便事業(株)、❸郵便局(株)、❹独立行政法人郵便貯金・簡易生命保険管理機構の民営化移行期間中と民営化後の各会社の公社からの業務の承継や特例等に関して定めた法律です。小泉純一郎が内閣総理大臣に就任すると、小泉内閣は、郵政民営化を重要施策の一つとして掲げ、「行政改革の本丸」と主張しました。2005年(平成17年)郵政民営化関連法案は、衆議院本会議において、可決されました。しかし、続く参議院本会議においては、否決されました。これは、自民党執行部の党議拘束にも拘らず、多数の造反議員が反対した結果でした。この結果を受けて、郵政民営化の賛否を国民に問うとして、衆議院を解散(郵政解散)しました。小泉自民党は、対立候補(刺客候補)を送り込み、選挙の結果、自民党の圧勝でした。これにより、郵政民営化関連法案は、可決、成立しました。

 次回も引き続き、世の中の動きについて考えます。

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