戦後の復興に見る建設業の歩み「平成バブル期へ」(7)

 今回は、平成バブル期(1970年~1992年)までの世の中の過剰経済拡大期について、考えていきます。1970年(昭和45年)日本国際博覧会(大阪万博)が開催されました。大阪万博は、高度経済成長を遂げたばかりの活気ある日本で開催されました。未来の生活を表現するため、当時、最先端の技術やサービス、建造物からコンパニオンの制服に至るまで、レトロフューチャーのデザインを採用しました。

 又、1973年(昭和48年)第一次オイルショックが発生しました。第一次オイルショックは、第4次中東戦争でアラブ産油国が、石油輸出を停止したため、原油価格が高騰し、世界に衝撃を与えました。中東の石油にエネルギー源を依存する日本政府にも、大きな打撃となり、これを契機として、低成長期に入ることとなりました。国内では、石油資源の不足の危機を報道したため、トイレットペーパーを買いだめするなど、大騒ぎとなりました。

 そして、1985年(昭和60年)プラザ合意が結ばれました。プラザ合意は、先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議により、発表されました。為替レート安定化に関する合意でした。日本からは、当時、竹下蔵相でした。アメリカ合衆国は、高インフレ抑制政策として、金融引き締めを実施していました。米ドル金利は、20%にまで達し、世界中の投機マネーが、アメリカに集中しました。大幅な貿易赤字がもたらされましたが、インフレからの脱出には成功しました。実質的に円高ドル安に誘導する内容こそが、プラザ合意でした。その後、前川レポートにより、10年間で、430兆円の公共投資が行われました。

 1989年(昭和64年、平成元年)消費税法が定められました。消費税法は、国民が、広く受益する社会保障に掛る費用をあらゆる世代が広く公平に分かち合う観点から、消費税及び地方消費税の収入を充てると定めています。消費税は、目的税であり、年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費に充てるとしています。

 次回は、つくられた高度成長時代の建設業について考えていきます。

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