戦後の復興に見る建設の歩み「戦後占領下混乱期」(2)

 今回も引き続き、戦後、混乱した占領下(1945年~1950年)の建設業について考えていきます。

1.進駐軍工事の施工について

 敗戦後の日本は、どこもかしこも焼け野原でした。しかも、すべての産業が活動を停止していました。この状況の中、いち早く動き出したのが建設業でした。GHQの占領下、アメリカは、最初に手掛けたのが、兵舎や将校宿舎、航空基地の建設でした。日本の旧軍事施設は、壊滅していたため、至上命令でした。しかも、アメリカは、工期の遅延は許さず、時には銃剣で脅し、言語や風俗習慣の相違により、意思が疎通しないまま工事完成を指示していました。1945年(昭和20年)進駐軍工事の施工が開始されました。まず、都市にある焼け残りビルを、宿舎に改装することから始まり、各地にある諸名士の邸宅が、高級将校用に接収され、改修が行われました。続いて、兵舎の建設が始まりました。下士官は、本国(アメリカ)から家族を呼び寄せ、同居するため、家族住宅が、各地に建設されました。この間、当時の日本人の生活は、被災地の地面に穴を掘り、トタン板を乗せた豪舎に住みました。浴場はなく、ドラム缶で入浴するなど、建設中の家族住宅とは、天と地ほどの違いがあり、建設業者は、切実に敗戦の悲哀を味わいました。又、敗戦下の世相は、酷く、労働者を確保するために、食料、衣類などのヤミ物資の入手は欠かせなかったと言います。

 進駐軍工事は、アメリカ式の仕様書により、アメリカ人の監督下で行われました。重機械化施工でした。例えば、路盤工事の転圧には、キャリオール、スクレーパ、グレーダ、シープスフートローラなど、重機械をアメリカより、貸与或いは、払い下げを受けて施工しました。アメリカの仕様では、所定の条件さえ整えば、何を使用してもよく、材料の選択は、請負った建設業者に一任するという方式で、今までの日本にはありませんでした。そのため、試験室を設け、研究を重ね、新材料、新工法の開発に結びつけていきました。非常に厳しい管理を押し付けられましたが、そのことがかえって、日本の建設業者にとり、多くのことを学ぶ(❶詳細な仕様書、❷機械化工法、❸近代的管理手法、❹進んだ設備、❺安全衛生管理など)機会となりました。建設業の近代化へ向けた一歩となりました。

 そして、1948年(昭和23年)には、建設省設置法に基づき、建設省が設置されました。当時は、技術者の発言権を重視した建設省が誕生しました。又、翌、1949年(昭和24年)には、建設業法が制定されました。さらに、1950年(昭和25年)建設工事標準請負契約約款を制定、同年、建築基準法が公布されました。徐々に、建設業の素地が確立していった時代でした。

 次回は、混乱から脱出しようとした戦後復興期(1950年~1954年)について考えていきます。

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