建設の歴史探訪「江戸のまちづくり」江戸の職人(42)

 今回も、前回に引き続き、江戸の職人について考えます。江戸幕府で住みついた職人たちは、業種ごとに職人町を形成していきました。この職人町は、時代の流れと共に、狭い町内に住む職人たちの間で、腕を磨き、競争が起こりました。その競争に負けた職人は、この職人町から出ていったと言います。頭を競うもの同士が、勝負の上で負けると、同じ場所で働くことさえも、プライドが許さなかったようです。

 又、江戸のまちは、たびたび火災が発生し、火災のたびに、区割りを変更し、移転を余儀なくされ、同じ業種の職人たちも、バラバラにされてしまいました。そのため、職人町の町名だけが残る形となりました。その町名が、現在の神田や京橋のまわりに残っています。

 例えば、大工の町は、神田橋御門の東方にあったと言います。1624年(寛永元年)頃につくられ、その後、1703年(元禄15年)以後になると、堅大工町、横大工町に分かれていったと言います。他にも、神田紺屋町(染物屋)、神田鍛冶町(鍛冶師、鋳物師、釜師)、神田白壁町(左官)、木挽町、桶町などの職人が、住みつき、屋敷や長屋、家具、日用品をはじめ、すべての物をつくりだしていったと言います。

 次回は、江戸の職人の暮らしぶりについて考えます。

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