建設の歴史探訪「江戸のまちづくり」江戸の職人(41)

 今回は、江戸のまちづくりに欠かせない職人について考えます。江戸時代、気風の良さを表した「職人気質」という言葉があります。この時代、花形職人と呼ばれたのが、「大工、左官、鳶」の華の三職でした。この華の三職の「職人気質」とは、「誇り高い」「粋でいなせ」「威勢が良い」という心意気のある長所でした。一方、「軽率」「鼻っ柱が強い」「おっちょこちょい」という短所も合わせ持っていた職人の気質でした。この「職人気質」は、江戸の町人文化を生み出す母胎ともなっています。

 江戸職人は、江戸城の築造やまちづくりのために、様々な職人が、諸国から江戸をめざしてやってきました。江戸幕府は、各業種の親方を「※国役請負人」に任命し、一町(約9,900㎡)の土地と屋敷を与えました。これにより、職人たちは、関連する業者同士で、同じ地域に住み、職人町を形成していきました。職人たちは、それぞれの業種の親方の近辺に住んでいきました。例えば、大工町、紺屋町、鍛冶町、桶町など、業種名を冠した職人町ができていきました。※国役とは、江戸幕府が、職人町に課した賦役で、1年の内の一定日数は、御用を務めるものでした。つまり、税金の代わりとして、ある日数、無償労働を強いたものでした。又、江戸のまちづくりが、一段落すると、「代役銭」と言って、賦役の代わりに、金銭を支払う制度に変わっていったと言います。

 次回も引き続き、江戸の職人について考えます。

最新記事

アーカイブ