建設の歴史探訪「江戸のまちづくり」幕府ゆかりの寺社(40)

 今回は、幕府ゆかりの寺社について考えます。山王権現(日枝神社)が、徳川幕府ゆかりの寺社になったのは、家康が江戸に移封された際に、同地にあった日吉社を城内の紅葉山に遷都し、江戸城の鎮守としたことがはじまりとされます。この日吉社は、遡ること、太田道灌が、江戸城築城にあたり、1478年(文明10年)に、川越の無量寿寺(現在の喜多院)の鎮守である日吉社を勧請したことにはじまります。又、江戸の日吉社が、日枝神社と呼ばれたのは、1868年(慶応4年)以降のことです。

 山王権現とは、もともと日枝山(比叡山)の山岳信仰、神道、天台宗が融合した延暦寺の鎮守神です。又、日吉大社の祭神を指すこともあります。つまり、山王権現は、比叡山の神として、「ひょっさん(日吉さん)」とも呼ばれ、日吉大社を総本宮としています。そのため、全国の比叡社(日吉社)に祀られました。又、「日吉山王」とは、日吉大社と延暦寺とが、混然としながら比叡山を「神の山」として、祀った信仰の中から生まれた呼び名とされています。

 江戸の時代の初期に、山王権現(日枝神社、日吉大社)の神主は、幕府の神仏習合を認めることができず、唯一神道を行うために、僧形の御神体を燃やすなど、「廃仏毀釈」を試みました。しかし、延暦寺が幕府に訴えたことで、山王権現の神主は、島流しとなったと言います。神主の社家は、断絶させられ、山王権現は、延暦寺の完全な管理下に置かれました。この時、山王権現が行う神事は、延暦寺の許可を得なければならないという、掟を定められました。この他にも、神田明神、寛永寺、増上寺などがあります。

 次回は、江戸の職人について考えます。

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