建設の歴史探訪「江戸のまちづくり」火事と長屋(38)

 今回も、火事と長屋について考えていきます。江戸幕府は、度重なる火事に、さらに追い打ちをかけられました。1657年(明暦3年)の明暦の大火でした。直ちに、翌年、1658年(明暦4年)に、「常火消」をつくったと言います。この「常火消」は、江戸城の防災などを目的に、幕府直属の常備消防隊として、四家の旗本に命じた消防組織で、専用の火消屋敷がつくられました。

 これに対し、町人地区を守るための本格的な火防制度は、1718年(享保3年)町奉行の大岡越前守忠相がつくった「町火消」でした。隅田川以西の江戸市街をいろは47組に、隅田川以東の本所・深川を16組に分け、江戸の町を火災から守ったと言います。その数は、総勢1万人以上となり、町人のうち5人に1人は、火消だったと言います。消化のために使う道具は、家の柱を倒す時に使う、大刺股や天井や屋根を壊す時に使う、鳶口をはじめとする壊し道具でした。

 一方、幕府は、多発する火事を防ぎ、被害を最小化するため、消化組織だけではなく、防火対策も進めたと言います。まず、道路を拡幅して、避難路として活用する「広小路」や空き地で延焼や飛び火を防ぐ「火除地」を設置しました。又、市街地で火焔を遮断するための長土手「防火堤」などの防火地帯を設置していきました。

 町人たちも、自分たちの町の安全は、自分たちで守るための体制を整えていきました。町内会は、「自身番」が設けられ、防火、防犯などの警備にあたりました。「火の用心」と呼びかけたのも「自身番」でした。又、「自身番」の屋根には、火の見やぐらと半鐘が設けられ、出火の際には、出火の方角と距離により、半鐘の鳴らし方が決まっていたと言います。

 次回は、神社、仏閣について考えます。

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