建設の歴史探訪「江戸のまちづくり」町人長屋(36)

 今回は、江戸時代の土地は、基本的に全て幕府の所有物でした。武士から商人に至るまで、個人が土地を持つことはありませんでした。しかも、江戸の庶民の住まいは、みすぼらしい長屋でした。これは、江戸幕府の政策であり、人口密集が際立つ江戸のまち事情に理由がありました。まず、幕府は、各大名に土地を貸し、その大名は、地主などに一部の土地を貸し、さらに、地主は、その土地に長屋を建て、庶民に貸すという構図でした。従って、幕府は、何もせずとも、自分の懐に、土地の借地代が入る状況にありました。一般庶民にとり、江戸城下に住むということは、土地を借りることであり、土地は「財産」ではありませんでした。

 長屋には、「裏長屋」と「表長屋」がありました。主に、一般の庶民が暮らす長屋が、「裏長屋」でした。「表長屋」は、比較的裕福な小商人などが住んでいました。裏路地に建てられた「裏長屋」は、「割長屋」と「棟割長屋」がありました。「割長屋」は、棟と垂直方向に部屋を仕切ったつくりで、一般的な長屋でした。部屋は、土間とは別に六畳間があり、梯子を掛けた中二階もありました。

 「棟割長屋」は、「割長屋」の屋根の棟の下に、さらに壁をつくり、背中合わせに部屋を設けた長屋でした。広さは、平屋建ての九尺二間が一般的でした。間口が、九尺、奥行きが、二間で、六畳一間でした。そのうち、土間が一畳半取られるため、居住空間は、四畳半でした。又、採光は、土間側のみで、風通しも悪いものでした。そのため、「棟割長屋」には、貧しい小作人や職人などが住んでいました。

 「表長屋」は、日当たりもよく、八畳と四畳の部屋に、土間があるなど、間取りも広く、四畳の部屋で、小間物や荒物などを商う住民もいました。長屋を借りる際に、住民は、畳も家財道具もなく、「裸貸し」と呼ばれる方法が一般的でした。長屋は、板張りがむき出しのままで、何もなく、家財道具はもちろん、畳みや建具まで、借りる人が、自分の好みや懐事情に合わせて、借りていました。

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