建設の歴史探訪「江戸のまちづくり」川渡し(34)

 今回は、江戸時代、多くの人々が江戸をめざして街道を使い移動していきました。その際に、街道沿いにはいくつもの川が流れています。大きな川となれば、人々は、一人で容易には渡ることができません。そこで、当時、「川渡し」という方法が生まれました。この「川渡し」には、大きく分けて、2つの方法がありました。一つは、川越し人足の手を借りて歩いて渡る方法でした。具体的には、旅人が、人足に肩車をしてもらい、歩いて渡る方法です。又、蓮台に乗り、これを担いでもらい、歩いて渡る方法です。これらを「徒歩渡し」と呼びました。もう一つは、船を利用し、渡る方法でした。これは、「船渡し」と呼びました。当然、渡し賃も高く、一般の旅人は、徒歩渡しで渡りました。

 実は、もう一つ、川渡しの方法がありました。川に沢山の船を並べて、その上に板を渡し、船橋をつくる方法でした。これは、将軍の上洛や朝鮮通信使の来朝といった特別の大通行があった場合に、橋の代わりとしたものでした。この「川渡し」は、大雨で川が増水した時には、川越えに大変苦労したと言います。よく「川留」と言って、徒歩渡しは勿論のこと、船渡しも禁止となりました。川留になると、旅人は、手前の宿場で足止めさせられました。宿場にある旅籠にとっては、宿泊が増えるため、嬉しい限りでした。但し、旅籠を利用したくない旅人たちは、付近の農家を借りるか或いは、野宿して川明けを待ちました。これは、徳川幕府による政策でした。街道沿いの宿場の賑わいを優先したためでした。そのため、橋の整備が遅れたと言います。又、橋の整備が遅れた理由は、江戸へ攻め込む諸大名の動きを止めるためだったと言われています。

 次回は、その橋の整備について考えます。

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