建設の歴史探訪「江戸のまちづくり」灌漑用水(32)

 今回は、灌漑用水の整備について考えていきます。そもそも、灌漑とは、農地の外から人工的に水を供給することです。その灌漑と呼ばれる日本の最古と呼ばれる水田跡が、佐賀県唐津市に、水稲耕作遺跡「菜花遺跡」があります。縄文時代晩末期である今から2930年前くらいに、日本で初めて水田耕作による稲作農業が行われていたと言います。「菜花遺跡」からは、炭化米や土器に付着したモミの圧痕、そして、石包丁、石斧、田下駄といった農具、さらに、用水路、堰、取排水口、木の杭や矢板を用いた畦畔、水流をせき止めて調整する柵などが発掘されました。

 この地域は、干拓後背地で、海水が入り込まない谷間地でした。その中央部に幅1.5~2.0mの水路を掘り、この両側には土盛りの畦畔により、区画された水田を作っていました。この水田跡がある丘陵地には、住居跡もあり、その端部には、土止めの杭列が、設けられていました。

 これら縄文時代の灌漑用水は、江戸時代に入ると、多くの人々を安定的に統治するために、農耕生産の向上が必須課題でした。そのために、幕府は、諸大名に、積極的に開墾、干拓、そして灌漑を奨励していきました。しかし、灌漑には、2つの課題がありました。

 次回は、この2つの課題について考えていきます。

最新記事

アーカイブ