建設の歴史探訪「まちづくり」掘割(30)

 今回は、前回に引き続き、掘割について考えていきます。掘割の目的は、江戸城の築城の際の石材などの資材を陸揚げすることでした。その後、築城が完成すると埋め立てられています。江戸城の掘割は、本丸を中心に螺旋状の「の」の字型になっています。東に大手門、南に西の丸、西に半蔵門、北に田安門、さらには常磐橋門、虎ノ門、赤坂門というように右回りに掘割が進められ、江戸のまちが広がっていきました。

 掘割は、資材や蔵米を江戸湊から船で、江戸城まで直接運ぶためと、まちの商人たちが商売をするための水路でした。又、敵が攻めてくるときには、容易に城に近づけない利点もありました。その際に、火災の延焼を防ぐ構造でもありました。そして、掘割の開削で発生した土砂を海岸の埋め立てに利用することで、無駄のないまちづくりといえます。

 この江戸城を中心としたまちづくりは、徳川幕府における軍事的意味合いを帯びたまちでした。上記の掘割に沿って、常磐橋門外から東の浅草方面に、町割りを行っていきました。道幅を40尺、南北両端に400尺ずつの町地を造成していきました。この江戸城を中心としたまちづくり事業が、全国の大名の政治・経済・文化等の中心地とする一大事業でした。

 次回は、天下普請と呼ばれる江戸のまちづくりについて考えていきます。

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