建設の歴史探訪「まちづくり」掘割(28)

 今回は、江戸のまちづくりにおいて、掘割に着目します。最初の掘割は、家康が、1590年(天正18年)江戸城築城のために、江戸湊から江戸城への水路を確保し、船で大量の物資を運ぶための「運河」でした。この「運河」を道三堀と言いました。道三堀は、和田倉門橋から日本橋川の河口の呉服橋まで開削されました。そこには、銭瓶橋などが架けられ、蛇行する掘割でした。銭瓶橋の名の由来は、開削の際に銭の入った瓶がでてきた或いは、この近辺で永楽通宝の両替が行われたことで、銭替えから転じたと言われていますが、諸説あるようです。

 家康は、全国から石や材木を船で運ぶため、この道三堀を開削したと言われています。人工の水路として、江戸で初めて造られた掘割でした。道三堀の名の由来は、幕府の侍医、曲直瀬家の屋敷が、そこにあったことから、道三堀と呼ばれました。道三堀の開削で出た土砂は、町割の埋め立てに利用されました。まず、北側に本町を造成し、広げていったと言います。その後、運河としての利用を終えた道三堀は、1909年(明治43年)に埋め立てられました。

 次回も、引き続き掘割について解説します。

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