建設の歴史探訪「まちづくり」江戸城の築城(26)

 今回は、江戸のまちづくりを進めるに当たり、徳川家康のブレーンとして活躍した天台宗の僧であった天海の助言を参考に、江戸城を築城したことについて考えます。陰陽道を修めた天海は、伊豆から下総まで関東の地相を調べ、古代中国の陰陽五行説に基づく「四神相応」により、江戸は、東に「隅田川」、西に「東海道」、南に「江戸湊」、北に「富士山(真北より112°もズレている)」という四神で守られた土地と考えていました。そのため、江戸が幕府の本拠地に適していると、結論づけたと言われています。

 又、江戸城が置かれた本丸台地は、7つの台地に囲まれ、陰陽道では、こうした地形の中心には、まわりの地の気が集まり、栄える場所とされたと言います。こうして、江戸城の場所が決定され、築城と堀の設計が行われていったと言います。天海は、江戸城を築城する際に、実際の作業とは別に、思想や宗教的な面で設計に関わっていきました。まず、江戸城の内部を渦郭式という「の」の字型の構造にしました。又、城を取り囲む堀も螺旋状の「の」の字型にするなど、「の」の字形は、城を中心に時計回りで、まちが拡大していくことを意味していました。さらに、①敵を城に近づけにくくする、②火災発生時に延焼が広がるのを防ぐ、③物資を船で運搬しやすくする、④堀の工事により得た土砂を海岸の埋め立てに利用するなどのメリットがあったとされています。

 次回も、江戸城の築城について考えます。

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