建設の歴史探訪「まちづくり」江戸城の築城(24)

 今回から、「まちづくり」のベースとなる江戸城の築城について解説します。1600年(慶長5年)関ケ原の戦いに勝利した徳川家康は、1603年(慶長8年)江戸幕府を開きました。それまで江戸城は、1457年(長禄1年)関東菅領扇谷上杉氏の家臣であった太田道灌が、25歳の時に築城したのが、江戸城でした。当時の江戸城は、現在の皇居のあった場所であり、麹町台地と呼ばれる小高い台地の東側に造られた丘城で、子城、中城、外城の三重構造です。その外側に、水堀や切岸が巡らされ、門や橋で結んでいた本格的な造りの城でした。しかも、江戸城の目の前は、海です。

 家康がこの地に、入城した時は、1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原攻めの時でした。論功行賞とは名ばかりで、秀吉による策略でした。移封により、後北条氏旧領の関八州を与えられた家康でしたが、実は、1585年(天正13年)駿府城に入城後、4年後の1589年(天正17年)に、やっと駿府城の築城が完成したばかりであったのに、またもや、駿府から江戸へ入城させられたのでした。秀吉の家康に対する嫌がらせは、露骨でしたが、反対に、秀吉は、家康を非常に恐れていたということの現れでした。関八州は、関東八か国(相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野)で、今の関東地方(一都六県)です。それまで、太田道灌が築城した江戸城下は荒廃し、まわりは湿地だらけで城といっても石垣はなく、竹が生い茂る荒れ果てた状態だったといいます。太田道灌がはじめて築城してから、133年が経過していた、荒んだ領地でした。

 次回も、江戸城の築城について解説します。

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