建設の歴史探訪「まちづくり」楽市楽座(23)

 今回から、大名の権力を示した「まちづくり」について考えます。安土桃山時代、織田信長などの各地の戦国大名たちが、自らの支配地の市場で行われた経済政策を、楽市令又は、楽市楽座令と呼ばれていました。「楽」とは、規制が緩和され、自由に商売ができる状態をいい、「市」や「座」は、特権が認められた人たち或いは、同業者でつくった組合を言います。

 「楽市楽座」のはじまりは、1549年(天文18年)室町時代に、近江国の六角定頼が、居城とした観音寺城の城下町寺に楽市令を布き、商売をさせたのが、初見とされています。その後、織田信長が天下統一を図ろうとしていた室町時代の末期、1567年(永禄10年)を皮切りに、美濃国の加納に、加納宛の制札を送りました。これは、「楽市場」の交通の自由や種々の特権を認めたものでした。この制札という立て札には、2つの意味があり、一つは、この年、美濃国制圧に伴う戦乱があったため、一度村から追い出された村人たちを、村落への帰住を呼びかけるものでした。もう一つは、戦後の復興を考えてのことでした。

 従来、中世の商工業者は、公家や社寺に対して商業税を収め、座商人に特権が与えられていました。そのため、座に属さない新しい商人は、自由に商売ができなかったのです。しかし、織田信長は、この「楽市楽座」を推進する一方、「座」の保護も行っていたと言います。相反する、2つの政策を展開し、武士による統制を強化していったと言われています。

 次回は、江戸城の築城について考えます。

最新記事

アーカイブ