建設の歴史探訪「航路の整備」(19)

今回は、前回の東廻り航路のような危険な航路に対し、日本海側を通る西回り航路について考えます。1672年(寛文12年)に、幕府は、出羽の幕領から日本海側を通り、下関や大阪を経由し、江戸まで移送する西回り航路を整備しました。この時、堅牢な船であった瀬戸内海塩飽廻船と船頭を採用し、寄港地を全国に定めていきました。の中で、下関には、水先案内船を置き、鳥羽港口の菅島では、毎夜烽火を上げるなどして、航路の安全確保に努めました。航路を開拓するに当たり、寄港地に船が係留できるように港も整備させました。

 港は、はじめ河川の河口、湾、入り江など遮蔽された天然の地形を使っていましたが、その後、防波堤により風浪を防ぎ、帆船が安全に停泊し、桟橋や岸壁が作られると、人足の乗降や荷役が容易になり、より多くの荷物の輸送が可能になっていきました。

 次回は、江戸港や大阪港について見ていきます。

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