建設の歴史探訪「航路の整備」(18)

 今回は、北前船の流通発達による、航路並びに寄港地の整備について考えます。江戸時代に入ると、徳川家康の天下統一により、食糧が安定して生産できるようになったため、各地で採れた作物を出荷するなど、輸送への需要が高まっていきました。陸路で運ぶより、安い費用で早く運ぶことができる航路に目を付けた幕府は、江戸の米不足解消のために奥羽地方の幕領から、太平洋側を通り江戸まで米を移送するための航路を開拓させました。この太平洋側を通る東廻り航路は、犬吠埼沖を通過するという非常に危険な航路でした。以前、この犬吠埼を避け、利根川の水運を利用する内川江戸廻りでしたが、夏の南東の季節風(モンスーンなど)に乗り、三崎や下田を経て、南西の偏西風を待って、引き返し、江戸湾に入ることができました。

 その東廻り航路を開拓した人物は、「明暦の大火(1657年)で、木曽の材木により大儲けした商人、海運・土木業者の河村瑞賢でした。河村瑞賢は、現在の三重県度会郡南伊勢町の農家の生まれで、1618年(元和4年)13歳の時に、江戸に出て、江戸幕府の普請の人夫頭を経て、頭角を現し、材木屋を営むようになりました。

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