建設の歴史探訪「御普請」(17)

 今回も引き続き街道の整備における「御普請」について考えます。普請は、丁場という分担場所が決められ、それぞれ普請小屋ができました。普請小屋のことは、飯場と言います。人足は、飯場で飯を食い、寝泊まりし、対価として銭や米などの報酬を得たと言います。このような普請の名残が、今でも脈々と老舗建設会社に、残っています。

 さて、天下統一を図った江戸幕府は、国家権力により、諸大名に、「大名御手伝普請」を発令し、当時、城の築城、米作りのための灌漑用水、ため池などの築堤、そして、主要な街道や港といった大規模な「普請」を次々と要請して行きました。これにより、沢山の人足や資材を調達できましたが、諸大名により、この「御普請」は、大きな負担でした。しかも、諸大名には、この「御普請」を拒否することはできませんでした。拒否は、反逆と見なされるためです。言わば、「御普請」は、強制であり、幕府の立てた巧妙且つ緻密な戦略でもありました。

 次回は、北前船の流通発達による、航路並びに寄港地の整備について解説します。

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