建設の歴史探訪「街道の整備」(13)

 今回は、五街道の整備の中で、まず、中山道についてみてみましょう。中山道は、東海道と同様、江戸と京都を結ぶ街道で、内陸を経由する第二の東海道の役割を担っていました。東海道よりも、和田峠など難所が多くありましたが、往来は盛んでした。東海道よりも取り締まりが緩く、旅籠の宿代も東海道よりも2割ほどは安かったと言います。

 次に、甲州街道は、現在の国道20号です。甲斐の国へ繋がる街道でした。江戸から甲府、そして信濃の国の下諏訪宿で中山道と合流するまでを言います。この街道は、徳川家康入府1590年(天正18年)に際し、万が一、江戸城陥落の際、甲府までの将軍の避難路を想定した街道と言われています。沿道の四谷に伊賀組など4組から成る鉄砲百人組が配置され、この鉄砲兵力が将軍と共に甲府まで一端非難した後に、再び江戸城奪還を図るための攻め入る街道だったと言います。

 次回も、残りの五街道についてです。

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