建設の歴史探訪「街道の整備」(11)

 今回は、江戸時代の国づくりにの中で、「街道の整備」について考えていきます。徳川幕府は、江戸を起点とする陸上交通路の整備を、急ピッチで幕府直轄の「五街道」をはじめとして、その五街道から枝分かれした「脇街道(脇往還)」、そして小街道を全国へ拡げていきました。

 特に、「五街道」の中でも、「東海道」は、江戸(幕府)と京都(朝廷)を繋ぐ最重要街道として、徳川家康が江戸幕府を開く前に、関ケ原の戦いに勝利した翌年である1601年(慶長6年)から、整備に着手していたと言われています。

 この東海道の整備目的は、幕府と朝廷の「関係維持」と「江戸防衛」でした。まず、「関係維持」は、将軍が住む江戸と天皇が住む京都を街道で結び、早籠を飛ばすと5日もかからず、江戸の出来事が京都に届くことから、早期の対応を可能とすることでした。もう一つの「江戸防衛」は、京都以西には、多くの外様大名がいました。万が一、これらの外様大名たちが蜂起し、江戸に攻め入る際には、この「東海道」を使い、せめてきます。それを江戸で迎え撃つために、「東海道」には、徳川の譜代大名たちを配置し、防御させることでした。

 次回も、「街道の整備」について考えていきます。

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