コストマネジメントによる戦略的な組織構築(3)

今回は、建設業のコストマネジメントに対する時代認識について考えます。

時代は、平成バブルを迎える7年前の1985年のプラザ合意から内需拡大へ大きく舵を切ったところから平成最後の2019年までをフラッシュバックします。まず、時代を大きく3つに分類します。最初にプラザ合意以降の内需拡大の時代(1985年~2001年)、そして公共工事削減の時代(2002年~2010年)、最後に不確実性社会下の時代(2011年~2019年現在)です。

ここで解説することは、時代とともにコストマネジメントに対する考えがどのように変わっていったのかです。今後、企業の経営は、コストマネジメントを基軸とした戦略的な組織に変貌しなければ、改革はおろか進化することもできません。果たして、どのような組織に変わっていったのか見てみましょう。最初に、プラザ合意以降の内需拡大の時代についてです。

まず、プラザ合意とは、先進5か国の蔵相・中央銀行総裁会議で発表された、為替レート安定化に関する合意のことです。当時、日本からは竹下登大蔵大臣が参加しています。この合意により、日本は急速な円高に進み、内需拡大を約束させられました。その結果、地方の中小建設企業は、工事が途切れることなく発注された公共工事に胡坐をかき、官への依存体質がさらに強まっていきました。すると、自ら戦略を構築し、受注を獲得することがなくなりました。

ところが、1990年にバブルが崩壊し、本来ならば経営体質を見直す必要性があったにも関わらず、建設業は他産業の雇用の受け皿となるなど、国の総合経済対策において、公共投資を出し続けました。所謂、バブル以降を「失われた10年」と言われ、コストマネジメントに向かうことは全くありませんでした。何故、この時代は、コストマネジメントに向かうことがなかったのかと言えば、それは、工事量を潤沢に用意し、談合という配分システムなどにより、競争せずに工事量を確保できたためでした。従って、企業は経営体質を変えることなく、利益確保が可能となっていたのです。しかも、現場や経営の場で、コストマネジメントが機能せずとも、企業の拡大が可能となっていったからでした。

次回も引き続き、建設業のコストマネジメントに対する時代認識について考えます。

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